京都発の『騒音寺』というバンドがあります。
先週、初めて彼らのライブを拝見したのですが、
その中で、安珍と清姫伝説の歌(彼らの自作)を歌われておりました。
で、思い出した。(騒音寺の話はさておき。)
皆様は、以下のお話、安珍・清姫伝説をご存知ですか?
私は、この話を小さい頃、京都の(もう亡くなりましたが)ひいおばあちゃんに聞かされました。何度も何度も。そしてひいおばあちゃんは話の後、いつも同じ言葉を私に言ったものです。
言葉を。思い出した。ひいおばあちゃんの顔、声、匂い、この言葉を思い出したんです。
「愛って何やろな、おばあちゃんはこの歳になっても分からへんままよ」
以下、安珍・清姫あらまし。
安珍という19歳の、若く凛々しい僧侶がいた。
安珍は修行のため、熊野参りに出掛けた。
その途中、和歌山県は御坊の里の邸に一夜の宿を借りた。
「おいでなされませ。私はこの家の娘、清姫と申します。」
未だあどけなさの残る愛らしい娘、清姫が挨拶に出て来た。
清姫は安珍を一目見た途端、彼への想いで一杯となってしまった。
安珍は、この愛らしい清姫を憎からず思いはしたものの、今は修行の身、清姫の想いを受けとることは出来なかった。しかし、清姫の胸の安珍に対する想いは、ますます燃えあがるばかりであった。
安珍は、清姫を哀れに思いながらも、修行の身をいつまでもここに留めることは出来ず、帰りに必ず立ち寄ると告げ、逃げるように熊野に向かった。
約束の日、帰りを待ち侘びる清姫を欺き、安珍は別の道を通って帰路を急いだ。
それを知った清姫は嘆いた。そして悲しみはやがて憎しみへと変わった。
髪を振り乱し、夜叉のようになった清姫は声を限りに叫びながら安珍を追い掛けた。
安珍は、日高川の畔に在った舟に漸く飛び乗ると、急いで日高川を渡って逃れ、御坊にある寺に駆け込み、助けを求めた。
しかし、間もなく安珍は、自分を追って来た清姫は日高川に身を投じ、大蛇の姿となって川を泳ぎ渡って寺に迫って来ている、という身の毛もよだつような話を聞いた。寺の僧達に勧められるままに、下ろされた吊り鐘の中ならば見つからぬだろうと身を隠した。吊り鐘の中の安珍は、ひたすらにお経を唱えた。
蛇身の清姫はごうごうと炎を吐きながら、安珍の隠れている寺に向かい、安珍が現れないことを知ると、鐘をも溶かすと思われる程の激しい炎を吐いた。
「ええい、口惜しや! これほどまでに恋い慕う清姫の心を、何故に分かっては下さらぬのか……」
哀れ、鐘の中の安珍は、清姫の恋の炎に焼かれ、若いその命を清姫に奪われてしまったのであった。
そして清姫は血の涙を流しながら、日高川に入水したのであった。愛が憎しみに。こんなの悲しすぎるね。失恋。私はあの人を憎んだりなんかしない。
殺したりなんか絶対しないし、死んだりもしない。私は最後に「ありがとう」って
……言いたいけれど、そうありたいけれど。
どうなるかなんて分からない。
分からない。明日、死んでしまうかもしれない。自らの手で以て自分自身を殺めるかもしれない。死まで至らなくて、苦悶するかもしれない。不慮の事故で、自動車に跳ねられるかもしれない、自分が運転する二輪が転倒するかもしれない。大地震がやってくるかもしれない。上から豚が降ってきて圧死するかもしれない。
どうなるか分からない。
分からない。どうすればいいのかも、ちょっと……分からなくなってしまった(笑)
こんな時はナンシーを聴くに限る!
ナンシーとの出会いはボブ・ディラン30周年ライブのビデオを見ていた時でした。
彼女は黒いワンピースにギター1本で(←これまたカッケーのだ)、
ディランの "Boots of Spanish Leather" を唄っていました。
あっれはもうマジで衝撃だった。ドキドキが止まらなかったもの。
じわじわと、でもそれは一瞬のようにも思えた。
人生初の一目惚れでした。
彼女の歌はフォーク、カントリー系なのかな。
ぱっと聴きは、実に爽やか〜なアコースティックサウンド。
でもその中に彼女の強い意志がこめられている、個人的にはそんな感じがする。
そこに何かロックなものを感じるよ。ジャンルとかよく分かんないけど。
♪ もっと自分を愛してあげなさい。さぁ、前を向いて